「月下心中」



真白き月の光が蒼く染め上げる世界は、冴え冴えと冷たい異界のようで、彼岸との境をいっそ危うくさ

せる。

ヤツの剣は既に狂相を帯び、柄を握る手がそれ自体の意思を持つかのように、血を求め奔る。

(――― 逝かせるものか)

お前だけを。

狂乱の時代は既に終わりが見えている。剣無き世を独り永らえる恐怖が、甘美なる死をこい願う。

逃げる残党を追い、闇に消えたヤツの影を求めて、ふと踏み込んだ路地奥で。

人としての形を成さぬまでにきざまれた骸の脇で、ぼんやりと蹲るヤツを見つけた。

中空に向けられた眼は、己には許されぬ彼岸の光景を見つめ、うっとりと悦楽の笑みを浮かべている。

赤く染まった胸元を、死出の旅の華やかな衣装と見立てて。

眼前に立ち竦んだ己を見上げる眼は、この世ならぬ幸福に歪んでいる。

その口の端から流れ落ちる、幾筋もの命の破片を、空しく拾い上げるように。

己は、ヤツの胸倉を掴み上げると、唇を合わせ、甘い毒と共に、ヤツの命を喉奥に迎え入れた。

「毒を、寄越せ。・・・お前の、命を、もっと」

再び合わせた口腔の中、長い夢から醒めたように、ヤツの舌が震えた。

(お前だけを、逝かせるものか)

憎悪。羨望。哀願。

兆した激情の正体など、己には分かるはずも無い。

満ちては引いてゆく、感情の痕跡をうつろに辿るだけだ。

再び震えた体躯から、ごぼりと溢れかえる血が、己の身体を真っ赤に染め上げる。

ぜいぜいと、己が腕の中でか細い命の火を震わせながら、ヤツが夢見るように呟く。

「ねぇ、月が」

ゆらりと上げられた指先に、見果てぬ何かを願ったのは、いったいどちらだったのだろう。

「月が、あんなにも、遠い」

満ちた月は、零れるほどの近さで煌々と輝いている。

半ば現世を逸したヤツの魂を繋ぎとめるかのように、抱く腕に力を込めた。

ヤツが流した血潮に、ふたつの身体を浸して。

月光が静かに小波を照らす凪いだ海に、ふたり小船を漕ぎ出すようにして逝ければ良い、と、願い、畏

れ、そして祈った。


「閑中忙有」のmaki様から、サイト開設のお祝いにいただきました!!
なんか悶絶です、かっこよくてすごくらしいよな気のする斎沖。好きです〜!!
maki様、ほんとうにありがとうございました!!