恋の花、咲かせましょう


  

 夏祭り。
 蒸し暑く、空気が粘ついて、男だらけで行く花火会場は、いかにもムサい。
 吹く風もゆるく、上がった花火の名残をそっと消し去る程度のよい風があるのみで、今宵は誠に祭り日和。
 可愛い女の子たち(できれば同じくらいの人数の)でも往路で誘ってワイワイ露店を冷やかせたらなーなんて考えて今年も後悔した。
 剣道バカのやっている道場に集まる男たちにしては、皆見目もいいしすっきりしている。笑顔も爽やかでステキなはず。揃って浴衣で出かける様は粋なはず。
 だが。
 やはりこれだけ肉の締まった男供が集まると女の子は退くだろ、と毎年毎年思うのに、また今年もやってしまった。
 思い出したときにはもう、右手にかき氷、左手にじゃがバターを持っている。というか持たされている歳三だ。

 

 それでも五年くらい前まではまだ女の子たちの視線をちらちら感じたものだが。
(もうみんなおっさんだもんな)
 特に道場主の勇などは、ひとつしか歳が違わないというのにすっかり父親の顔をして、幼子を片腕で抱き上げバターのついた柔かい頬を指でぬぐってやっている。その幸せな光景を見せつけられて、小さく溜め息が漏れた。
「土方君、こんなときに溜め息ですか」
 にこにこと微笑でそれを指摘したのは独身の山南だった。普段は眼鏡のよく似合う事務員(会計事務所勤務)だが、普段は裸眼で今夜も眼鏡を外しているから目尻の皺がこれ以上ないほど優しく刻まれているのがよくわかる。
 彼は道場主の勇よりも少し年上だが、他流派の道場から移って来たため歳三よりもあとの入門になり、しかし以前の道場では奥義まで極めているひとなので、年上に弱い歳三はつい甘えてしまう。
「とし取ったのを感じるよ。ああいうの見ると」
 視線の先には一歩前を行く、勇とたま親子。つねは祭りのあとの町内会打ち上げ準備で大忙しで、今夜もせっかくの花火をおがめない。面倒見のいい近藤家では、こういった行事の際に、道場その他を気前よく提供している。旦那や子供、門下生はいても邪魔だからと追い出された形だが、そうやって花火を毎年観に行かせてくれるつねの優しさだ。
「きみは、まだまだ若いじゃないか。僕なんかはそろそろ結婚しろとも言われなくなってきてるよ」
 眉が困ったように寄せられて出来あがった山南の苦笑は全く辛そうなそれではなく、歳三は吹き出す。
「そりゃやばいなー。あんた全然いい人いないのか、モテそうなのに」
 歳三には山南は優しくて言うこと聞いてくれそうないかにも結婚したいタイプに見える。マスオさんタイプというか。
 上目にちろりと歳三が覗き込めば、ますます山南の眉が下がる。組んだ腕を外して片手で顎をかく。
「いやあ…いるには居るンだけどねェ。なんというか、水商売の子なんだけど」
「まじで!」
 歳三は初めて聞く事実に大きな声を出す。花火がどどーんと上がって、大きな声もすっかり打ち消される。周りの誰も気に止めない。
「あんたそういう感じには見えないのに! …へえええ。そうかー、あんたが選ぶ女ってどんななんだろうな」
「普通の子だよ。職業柄なのかわからないけど、僕の話をうんうんってよく聞いてくれてね、いい子なんだよね」
「…あんた騙されやすそうだなー」
 今度は歳三が苦笑する。ホステスとはそういう職業なのだから、と思う。どう言って気を付けろと言おうか迷っていると、山南が惚気た顔で否定した。
「いや、もうその子とは結婚前提でね」
「まじでか!!!」
 今度こそ驚愕して歳三は形振り構わず年甲斐なく大声で叫ぶ。
「んだよ、めでてェじゃねえか!」
 山南の肩をガクガク揺さぶって、興奮している歳三に気づいた道場の連れたちがなんだなんだとふたりを囲んだ。

 ぱらぱらぱらと散った花火の残骸が夜空にきらめく。そして休憩のアナウンス。只今より十分間の休憩を―――

 急にあたりの喧騒が戻って人が大勢いる場所だったなと思い出す。
「トシ、ちょっとたまにおしっこさせてくる」
「おう、この辺にいるから」
 たまを抱っこしたまま人混みの中に大きな勇の背が消えて行った。
「どうしたんだよ、トシさん」
 原田の胸元はすでにだいぶくつろげられて、それでもちっとも野暮にならない仕種がこの男らしさ。しゃんとした背筋が男前さを損なわせない。牛タンの串焼きを咀嚼しながら会話に入り込んで来た。
「いや、それがさ、山南さん、結婚前提で付き合ってる彼女いるって、おまえ知ってた?」
「明里ちゃんだろ?」
「知ってんのかよ!」
 俺だけか!とほぞを噛む歳三に、まあまあと山南が宥めるように笑う。
「土方君、近頃道場に顔出さなかったでしょ。あまり話してなかったからね。言わなきゃなとは僕も思ってたんだ」
 にこりと笑む山南はどこまでも優しい。こんな男を旦那にできる女はきっと幸せになれる、歳三はまだ見ぬ未来の山南の嫁に確信した。
「真面目に顔出さないあんたが悪い」
 永倉が缶ビール片手に流し目でにやりと笑うのに歳三は顔を歪めて「うるせぇ」と返す。真っ黒な短髪がよく似合って、藍摺の上等な浴衣が至極似合う男ぶり。見ているこちらも気分よくさせてしまう実直さが全面に出ている永倉が、実は猥談に赤面する初心な男だと知っている歳三だ。
「てめえも早く彼女作れよ」
 歳三がからかって言えば、
「あんたのが先だろう。順番から言って」
 と冷静に返される。
「じゅ、順番じゃねえんだよ、こういうのは!」
 かっと頬を染めて強がる歳三の白いうなじが、この道場の男の異性を見る目を若干狂わせていることを、当人は知らない。斉藤は積極的に輪に加わるわけでもなく、しかし外れるでもなく永倉の隣で缶ビールを煽っている。

「あー、いたいた!」
「としさん」
 若い男の声がふたつ、人込みからかかった。あっという間に傍らに知っている気配。
「すみません、遅くなりましたっ」
「おう、平助。お疲れ」
 早々頭を下げた平助の頭を力任せにぐりぐり撫でて解放する。所用で遅れるという平助から到着したというメールが花火大会開始三十分頃に入り、さきほど総司と伊庭が迎えに行っていた。ようやっと全員揃った。
 歳三は総司の手に荷物が増えているのに気づいた。
「総司、おめえ、なんか迎えに行ったときより増えてねえか」
 見れば伊庭の両手にもなにやらごちゃごちゃと増えている。焼き蕎麦、焼きイカ、あんず飴、わた飴、ベビーカステラ、チョコバナナ、タイラーメン。あまつさえ缶ジュースに缶ビールはビニル袋に入っている。
「だってみんなどうせ面倒くさがって買いにいかないじゃないですか! 買い出しですよー」
 この小憎らしい弟分は、師範でありながらこの道場では年少の部類で、いくつになっても可愛がられている己を自他とも認めて受け入れて、上手い事立ち回っている。歳三にしたって喧嘩はよくして来たが、この弟のような存在が可愛くてならないのだ。

「歳さん、どれがいいさね」
 静かで、しかし腰に来るような伊庭の声がすぐ側でした。いつの間に真横に来たものか。
 伊庭の微笑も山南同様、この上なく優しいのだが、この二人なにが違うと言えば、きっとこの色気だ。
 山南は優しすぎて、言っちゃ悪いが豆腐のようだと歳三は思う。あたり障りがなさすぎる。でもそこが山南らしく好ましいところだ。
 しかし伊庭は男の色気があって、しかし簡単に心を許さない部分を笑顔で綺麗に誤魔化している。女たちが騙されてもいい男というのはこういう男だろうか。さらりと伊庭の地の栗毛が穏やかな夜風に揺れる。いつの頃からか、別の道場の跡取りだというこの九つも年下の男は試衛館に居着いていた。
 まじまじ伊庭の顔を凝視してしまって、照れたように苦笑ったその表情にハっとなった。
「あ、ごめん。すげえ見た。ガン見した。相変わらず整った顔してんなーおめえ」
「…そうかい? 歳さんに言われちゃたまんないねえ。どれ食べる?」
 ハイ、と色々差し出されて、歳三は選ぼうとして気づく。忘れていた自分に笑う。
「俺、これ以上持てねぇし! こっち食ってからにするよ。おめえらもどんどん食えよ。たまちゃんのもあんだろ」
「もちろーん」
 総司が伊庭のとなりから腕を伸ばして歳三の目の前にピンクのわた飴袋を掲げた。
「プリキュアですよ〜」
「へえー今こんなの流行ってるんだ」
 総司の得意げな顔を見て山南が感心する。僕らの頃は、なんて山南が原田、永倉と盛り上がり始める。何年生まれはあーだこーだと。
「はじめちゃんはどれにする?」
 総司が大人しい親友に声をかける。こういうことが自然に出来るのが総司だ。人恋しい思いを、きっと人一倍知っている総司だから。
「ビールくれ」
 言ったそばからがさごそビニルを漁る。ついでとばかりに平助の分も取り出して、斉藤は手渡していた。
「ありがとう」
 育ちのいい平助は何事にもさりげなく躾のよさを感じさせる。何気ない一言ひとことに、一本の筋が通っている。人の目を真っ直ぐに見る。

「なんだ、おめえら飲んでばっかりで!」
「勇さん、おかえり」
 道場主が輪に戻って来た。早かったな、と歳三が聞くと、うんまあそのへんで済ませた、と白い歯を見せて笑う。それはそうだ、仮設トイレの待ちの長さを鑑みれば、小さい子供にガマンさせることは不可能だろう。そして父親が幼い娘に用を足させることができるのも今のうちだ。
「そうちゃん!」
 いち早く目ざとく総司の持つキャラクターの袋に気づいたたまが、勇の腕の中でめいっぱい短い腕を伸ばした。まんまるの目が零れ落ちそうなほど喜びに開かれる。
「うん、ハイ、これたまちゃんの!」
「たま、ありがとうは?」
「ありがと」
 意味などわかっていなさそうな気のない返事だったが、試衛館の男どもの頬はさらに弛めるにはてきめんだった。己の身体ほどもある、どぎついピンクのビニル袋を抱え込んできらきら目を輝かせる幼女の姿はむさい剣道バカたちの目をくらませる。
「か〜わいいい〜〜」
 開けて、とせがまれた勇はニヤニヤ開けてやりながら、そう言った原田に釘を刺す。
「おまえには絶対にやらん。このタラシめ!」
「えー。そんなにモテないよ俺」
 まあ、モテるけど、本命いるし。のうのうと嘯いて原田はにやりと笑った。「万年片想いのくせに!」と誰かが突っ込む。遊び上手なくせに本命には全く純情な男、原田左之助。
「…うるせ! おまさちゃんはなあ、おまさちゃんは…!」
 想像だけで緊張してしまった原田をよそに、唐突に場内アナウンスが入り、後半一発目の二尺玉が上がった。

 総司と伊庭で適当に買い出した物を皆に割り当てて、皆で続けて上がる花火を見上げた。
 歳三も飲み物の代わりに、溶けかけのかき氷をすすりながら見上げた。余所見してのことなので、口の端からイチゴの汁がつうっと垂れる。イチゴ味に赤くなった舌先でそのあとを辿った。目は花火を追って。
 その横顔を、伊庭と総司がじいと見ていた。若い彼らののどがごくりと鳴る。果たしてビールを飲み下した音なのか、生唾を飲み込んだものか。
 確認するようにふたりは隣り合ったお互いの顔を見合わせる。真顔に近い。
「…総さん、どれ食べるかい」
「若旦那は」
 周りの仲間たちはすっかり夜空の花を見上げながら、夢中。
 総司は手のなかのトレーから直に焼きいかにかぶりついて、伊庭は缶ビールのプルトップを押し開ける。
 総司の右隣に伊庭が居て、その隣に歳三、さらに向こうに平助がいる。歳三は端っこにいる平助とぼそぼそ小さな声で何か楽しそうに話しながら花火を見上げて、時折氷をすすっている。そして相変わらず口端からこぼしたりして。
 ちらちらと総司と伊庭のふたりはそちらばかりが気になって、花火に集中できない。正確には歳三の赤い舌と半開きの口元が気になって。
 総司のほうを向いて伊庭が苦々しくぼやいた。
「たまんねえな」
「若旦那見すぎ」
「総さんもね」
 どーんとまだまだ花火は上がる。飽きずに見上げる人々の歓声。人いきれ。温い風。愛しい体温。
 誤魔化すように、二人は飲み食いに逃げる。
「若旦那、ビールちょうだい。イカあげるから」
「あいよ」
 お互い面倒くさくてそれぞれの手で相手の口にそれを運ぶ。
 浴衣の袖から伸びた若い二人の腕が絡み付くように交差して、器用に分け合う。

 黙々と行われたその仕種を、歳三が横目に目撃していた。
 凛々しい眉間に皺が寄る。平助に内緒話をするように口元を近づけた。
「…なあ、あいつら、仲良すぎねェか」
 言われて平助は、同い年の友ふたりを歳三の向こうにうかがった。ひょっこりと覗き込めば、また無心に飲み食いを交互に繰り返す二人。事情を知る平助は、張本人のまったく鈍感な言に二人への同情が募った。
「まあ、あんなもんじゃないですかね」
「に、してもよゥ」
 この、己の中に湧いたもやもやは、なんだ。歳三はそのことに動揺する。
「土方さんだって、近藤先生とは平気で口移ししたりするじゃないですか」
「…っ、ばっか、あれはだなー、勇さんが嫌いなグリンピースを気づかずに食っちまったからで」
 暗闇の中しどろもどろに言い訳する歳三に、平助は普通はそこまでできません、とにこり突っ込む。歳三の体温がぐんぐん上がって行くのを、真横で平助が、そして逆隣で伊庭が感じていた。

「…総さん、この横のひと、どうにかしてクダサイ」
 じわじわと責めるように上がっていく大好きな人の体温を否応なしに感じて、伊庭は顔を俯けて悲鳴を上げる。
「代わる?」
「…代わらねェ」
 二人で今夜の位置を決めたのだ。せっかくジャンケンに勝って得たこの立ち位置を、むざと恋敵に譲るわけにはいかない。
 じとりと睨み上げるように、隣で涼やかに白い歯を見せて笑う総司をねめつけて、伊庭は大きく息を吐き出すと、表面上立ち直った。

 伊庭と総司は、年上の男、土方歳三に心底参っていた。
 それぞれに、それぞれの恋のいきさつがあるが、お互い打ち明けるでもなく自然に恋敵であると認識していた。そこから二人の静かな攻防と、抜け駆けは許さないというルールが始まった。
 近頃、そうして二人でいることの多い伊庭と総司の姿が、かえって歳三を淋しくさせていることに、二人は気づいていない。そしてさらなる誤解を生んでいることにも。

「だってよ、今まで俺の後ろついて回ってたあいつらがよー、俺そっちのけでイチャイチャしてんだぜ。…て、こりゃ普通に仲良くなってるだけか?」
 いや、別に俺ァーちやほやされたいとかそんなんじゃ…、歳三は花火を見上げて一人ごちる。
(二人とも、報われないねえ)
 報われてなさ過ぎて平助は笑うしかない。あまつさえ、二人はデキていると疑われている。
 とりあえず寝てみればいいのに、なんて顔に似合わず物騒なことを内心思って、平助は再び空を見上げた。
(ああ、ほら、咲いた)
 花は水をやらなきゃ芽を出さないよ。
 きちんと面倒見なけりゃ枯れてしまうんだよ。
 丁寧に世話してやれば、それだけ愛情も募るし、そのぶん綺麗な花を見せてくれる。
 伊庭も、総司も、それを知っているはずなのに。
(恋ってやつは、盲目だ)
 スターマインの同時打ちが終わって、大玉が連続して上がる。
 百花繚乱。
 それぞれの恋の上で、夏の花火が咲いては消える。
 そんな夏の夜だった。




「きりんのあくび」様にて、またまたリクさせていただいて書いてもらっちゃったお話です〜** なんとも言えず、微笑ましい試衛館ズの皆さんのやりとりと、報われなさも魅力もサイコーの伊庭さんと沖田さん!! 平ちゃんもナイスです。
笑いと温かみと、皆さんの魅力たっぷりのお話、あゆさん素敵すぎです〜!!
ほんとうに、ありがとうございました!!