猛獣使い


 自分は、出会うのが遅すぎたのだ。

 俺とヤツの「今」を較べたとき。一番の差異はそこにある。

 ヤツのほうが、あの人に出会うのが早かっただけ。
 そうやって己に言い聞かせるしかない。
 それはもう、動かしがたい事実で。嘆こうが恨もうが、どうしようもないこと。



 それでも。心の奥底で、意地の悪い声が聞こえる。

「たとえ、順番が逆だったとしてもな。お前じゃあ、所詮無理だったんだよ」

 ……煩い。うるさい!!
 そんなこと、ようく分かっているとも。

 だが、そう思い込む以外、他にどんな術があった?


     ● ● ●


 時折、左手で襟足をかく。
 文机に向かって書き物をする時の、この人の癖。

 今日の報告をしに、部屋を訪ねた俺を待たせるのも、常のこと。
 他の者ならいざ知らず。手持ち無沙汰なひとときでさえ、密かな楽しみだ。
 少しでも長く、その背中を見ていたいから。

 向かい合ってしまえば、ただの忠実な部下の眼線しか俺には許されていない。

 いっそのこと。胸のうちをすべて打ち明けてしまったほうが、楽になれるのだろうか?
 …いや。そんなはずは無い。
 俺の想いなぞ。この人は、欲していないだろうから。きっと。
 与えられている今の位置でさえ、俺は失ってしまうだろう。それはもう、呆気ないほどに。

 幾度もしている自問を繰り返す。出る答えもいつも一緒だ。

 分かりきっているのならば、端から求めなければ良い。
 そうすれば、今の場所に居られる。


 ……ほら。また、首をかいた。

 皓いうなじに伸ばしそうになる指を、俺は膝の上でそっと握り締めた。


     ● ● ●


 俺が土方さんに出会ったのは、夏の暑い盛りだった。

 あの日の太陽のようにギラギラした目で、あの人は言った。
「そうか! 道場破りか〜〜。俺と同じだな」
 そして、幾分乱暴に俺の背中を乱暴に叩いた。

 土方歳三という人は、言動は甚だ乱暴なのだが、見た目はたいそう綺羅々々しい。
 まず、俺は落差に驚き。ついで、面白い人だなと思った。


 その道場、試衛館で群を抜いた腕前だったのは、俺と同年の沖田だった。
 多分に餓鬼っぽさを残していながら、いざ稽古となるとガラリと変わる。突きの速さと言ったら、目を瞠るほどだった。

 沖田は、土方さんにとても懐いていていた。
 近藤局長と土方さんの阿吽の呼吸とはまた違う。何とも親密な空気が、彼らの周りには漂っていた。
 2人の家族構成を聞けば、なるほど兄弟のようなものかとも思えたが。
 それだけでは納得できないような、妙に据わりの悪さを感じた。


 ただはっきりしていたのは。俺には、彼らの間には入っていけないということ。
 沖田はあけっぴろげな性格だが、土方さんは一線をきっちり引く人だった。
 あの人が沖田に向ける笑み。それは、他の者へ向けるものとは微妙に違う。

 当時は違いが分からなかったが、今ならきっちり分かる。

 愛しい。

 その想いが在るか無いかだった。


 いったん気づいてしまえば、土方さんから目が離せなくなった。
 そして。俺の中に、ある感情が芽生えた。

 俺にも、その眼差しを向けて欲しい。沖田と同じように笑いかけられたい。

 沖田に成り代わりたい。
 何故。俺じゃ駄目なのだ!?



 ……馬鹿な。
 他の人間に成り代わるなんて、ただの与太話だ。

 それに。結局のところ、俺は……。
 想いを告げることもせず。それどころか、気取られぬよう苦心している有り様。

 身の内で飼う獣は日々、力を増すばかりで。俺は飼い馴らすのに必死だ。
 忠実な配下を演じてはいるが。その実、穢れた欲望を隠し持っている。

 暴発しそうな感情は行き場を求めて。結果、俺は血を浴びつづける。
 不逞浪士や、時には身内の血を。土方副長の命のもとで……。


 だが。俺が本当に殺めたい人間は、別に在る。


     ● ● ●


 私室に戻った俺を、寝そべっていた沖田が見上げる。
 近ごろ、ヤツはこうやって横になっていることが多いように思う。

「巡察、お疲れ様でした。一さん」
 わざわざ身を起こし、微笑む殊勝げな態度が鼻につく。

 沖田は時々、こう口にする。さも感心した風に。
「一さんほど、土方さんに頼られている人って、いないだろうなあ」

 ふざけるのも大概にしろ!!

 罵倒の言葉を、俺の矜持は寸でのところで押し止める。
 同室であるだけで毎日苛立っているのに、そんな見え透いた世辞なぞ!!
 俺は所詮、土方さんの走狗に過ぎない。それに引き換え、お前は……。


 俺が沖田に殺意に近い憎しみを抱くのは、こういう時だ。


「……これからもっと、一さんは忙しくなると思うよ」

 懲りない横顔を、射抜くように睨みつけてやる。
 悪意に気づかぬ間抜けは、しばらく黙した後、ポツリと漏らした。

「土方さんのこと、よろしくお願いしますね。一さん……」

 ついに堪えきれず、俺は口を開いた。
 そんな俺をチラリとも見ずに沖田は立ち上がると、部屋を出て行った。
 おおかた、行き先はあの人の部屋だろう。


 遣り場を失った怒りに、俺の拳は重く畳に沈んだ。




 沖田が喀血したのは、それから間もなくのことだった。


蒼生様のサイト様にて、キリ番22,222のニアピン賞でリクリクさせていただいた
斉→土×沖でございます!
副長を一途に想う一さん、そしてなんとなんと、沖田さんと斉藤さんの
とっても、関係が素敵にございます!!

蒼生さま、今回もリクうけてくださって、ありがとうございました**